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外国語における名詞の数(複数表現)について


 日本語の名詞は数の区別がないということがよく話題になる。すなわち、英語では卵が一つの場合an eggというが、二つ以上の場合は形を変えてeggsという。これに対して日本語は、卵が一つでも二つ以上でもタマゴですませる、という類いである。この単複の区別は、世界の言語にかなり普遍的な現象で、インド・ヨーロッパ語はすべてもち、ウラル諸語・アルタイ諸語からビルマ語にまで及んでおり、ハム・セム諸語、アフリカの諸言語や太平洋の諸言語にも見られる。すなわち数の区別のない言語の方が珍しく、日本語のほかは朝鮮語・旧満州語・中国語・タイ語・ヴェトナム語(『安南語広文典』)から、インドネシア語市河三喜ほか編『世界言語概説』下)などがそうで、大体、アジアの東南方にかたまっている。

 日本語や中国語に数の区別がないことは、ヨーロッパ人を驚かせ、軽蔑の気持をいだかせるらしい。ブロックというアメリカの言語学者は、日本人は思考においても、単数と複数との区別をすることができない、と言ったという(『言語研究』昭28・3服部四郎)。たしかに、日本人は二人の娘を「ピンクレディー」などと呼んで平気でいた。

 日本人も、単数と複数の区別は頭にある。が、それをいちいち言葉の上に表わさないだけだ。日本語でも、複数を表わす言い方がないわけではない。名詞に接尾語の「ども」や「ら」や「たち」をつければ複数を表わすもので、「私ども」「学生たち」「子供ら」などはそれであって、人の場合にはそれが言える。「これら」「それら」のような、いわゆる代名詞の場合ならば、物でも複数で言える。「山々」のような形も、本来は複数を表わす形ではないが、結果として複数を表わすことになる。ことに漢語の場合、「諸問題」「諸制度」のような言い方ができる。ただし、言いたくても言えないものがあることは残念で一般の事物、たとえば「机」とか「本」とかは複数であることが言えない。もっとも、時には、英語では複数の形がないところに、日本語では複数形が使えることもあり、たとえば、英語にはlroの複数形がないが、日本語では「誰々が今日来たって?」と問うことができる。

 日本語の複数形について注意すべきことは、複数であることを示したい時だけ「たち」をつけて示すということである。示したくなければ「たち」をつけなくてもいい。「学生が大勢歩いている」で十分で、いちいち[学生たちが大勢いる]と言う必要はない。

 英語などはこの点やっかいで、その人、事物が複数だったら、かならず複数形を使わなければいけない。終戦直後のころ、楳垣実が京都の二条城から、進駐軍の観客にそなえて英語の掲示を出したいという相談を受けた。簡単なことと承知したところ、

 「松鶴図」というふすまの絵の題をどう英訳するかと電話で聞かれ、日本語ならば、[松と鶴]でいいが、英語に直すとなると、「鶴」が一羽ならばa craneであるが、二羽いるならば(cranesとしなければと考え、結局絵を見せてもらわなければ訳せないことになったという。

 英語などでは単数・複数の区別があるために、ときに思いがけない難しい問題が起こるようで、イェスペルセンの『文法の原理』によれば、有名な作家にもこういった間違いがあるそうだ。Ten is one and nine.「10は1たす9である」、これは正しくは。Ten are…と複数にすべきものだそうだ。それから“Fools are my theme.” 「おろか者たちは私のテーマである」、これは、おろか者がテーマとすればおろか者を一つに扱っているわけだから、む 7しろ単数にすべきだという。

 ドイツ語でも難しいのがある。たとえば「不夜一夜」をドイツ語でtause乱u乱eine Nachtと言うそうだ。Nachtというのが単数形になっている。元来「不一の夜」だから複数にすべきであるが、tausendの次に「一つの」というeineがあるので、それに引かれて単数のかたちを使う。このへんはどうも論理的ではない。

 D・カーという中国語学者は、中国語を学び、中国語の名詞に数の区別のないことを知り、

 「自分は、われわれ西洋人は、数という範疇をもつためにいかに多くの不合理を犯させられて

いるかと感得した」と告白した。

 言語学者によると、世界の言語の中には風変わりな言語があって、単数・複数のほかに双数というのを区別する言語があるという。つまり、指されるものが一つの場合、二つの場合、三つ以上の場合をいちいち言い分ける言語である。

 こういう双数を区別する言語で有名なのはアラビア語だ。ほかに、ヨーロッパの言語では昔のギリシヤ語にあり、今は、スロベニア語やリトワニア語などもそういう区別が残っているそうだ。こういう言語を使っている人は、新聞記事に盗難事件を扱う場合、侵人した泥棒の人数がわからない時は、「その一人の泥棒、二人の泥棒、または三人以上の泥棒は……」というのであろうが、厳密ではあるが、不自由だろう。

 先年、ニュージーランドに行ってマオリ族と親しくした時、「さようなら」という言葉が、相手が一人の場合、二人の場合、三人以上の場合で言い方がちがうということを習った。

 さらに言語によっては三数・四数というものがあって、ミクロネシアのマーシャル群島の言語にあると聞く(メイエ、コーアン共編『世界の言語』)が、これは御苦労というほかはない。
『日本語』 金田一春彦