名詞の性について:英語やドイツ語、フランス語における性の区別


 日本語の名詞について、まず問題にされるのは、性の区別がないことである。もっとも、名詞の性がないなどと言ってさわぐのは、従来ヨーロッパの諸言語が代表的な言語だとされ、それを標準として見たからである。たとえば、ドイツ語ではすべての名詞が男性か女性か中性かに分かれて、無生物を表わす名詞まで、ものにより男性だったり女性だったりし、時には生物のあるものが中性になる。ファーテル(父)やゾーン(息子)が男性名詞であり、ムッテル(母)やトホテル(娘)が女性名詞であるのは差支えない。それぞれちがった冠詞をつけ、複数形の変化をつけるのもめんどうではあるが、まあいい。が、少女(Madchen)は中性、番兵(Wache)は女性名詞だと聞かされてびっくりする。

 フランス語は、男性と女性に分かれるだけであるが、同じようなことがあり、伝令(ordonnance)とか保証人(caution)とかというのは女性名詞だそうだ。したがって、「伝令が」というのを代名詞で言う場合には「彼女が」と言うのが正しいという。そういうことは、どのような形の冠詞・形容詞をつけるか、というところにまで影響してくる。同じようなことがロシア語などにもあって、たとえば、「死んだ人」といったようなものは男性名詞だそうで、したがって女性も死ぬと男性になる、ということになる。われわれはまごつかざるをえない。

 動物は、雌雄であるより先に、その種が男性か女性かがきまっている。ドイツ語で「兎」は男性名詞、「鼠」は女性名詞だ。そのために「雄の鼠」という時は、

  eine mannliche Maus (一匹の女性である 雄の 鼠)といい、「雌の兎」に対しては、

  ein weiblicher Hase(一匹の男性である 雌の 兎)

というのが正しいそうだ。

 さらに、ドイツ語やフランス語では、生きていないものでも片端から男性、女性と呼び分ける。それも「天」が男性、「地」が女性というあたりはいいが、ドイツ語で[手]はHnadで女性、「足」はFuBで男性である。しかし、「手の指」は男性であり、「足の指」は女性だという。フランス語では、「鼻」はnezと言って男性だが「口」はboucheと言って女性で、文章を読んでいて、「彼女が」と出て来ると誰か女の人がいるのかと思うが、そうではなくて、その人の口の話であったりして、まごつくことがある。

 このような性の区別というのは、日本人からみると大変珍しいことのように思われるが、世界の言語のなかにはこういう区別を持った言語はかなりたくさんあるらしい。たとえば、ヨーロッパの言語はすべて原則として、男性名詞・女性名詞の区別を持っており、時には中性名詞も区別する。例外は、ハンガリー語フィンランド語で、これはアジア系だから、区別がないのだそうだ。一方、アジアの方でもイランからインドのヒンディー語はヨーロッパ系で、性の区別がある。アラビアからアフリカの北の方には、これはヨーロッパ系とは言えないが、アラビア語の系統のセム語・ハム語が使われていて、ここにやはり男性・女性の区別がある。さらにアフリカの南の方のブッシュマン、ホッテントット諳語にも区別があるのだそうだ。

 こういった性の区別というものは、一体何に基づくか。これについては、新村出の『言語学概論』に説明がある。ここにはいろいろな例が集めてあって、たとえばホッテントットの言葉に、「水」という言葉があるとすると、これが水一般の場合には中性名詞であるが、洪水とか河や湖の水、つまり水がたくさん集まっているときは男性名詞であり、洗い水・飲み水のような水のときは女性名詞として使うのだそうだ。

 もう一つ、イェスペルセンによると、アフリカのベタウヨ語という言語、これはハム語族に属するというから、昔のエジプト語系の言語であるが、人間とか、大きなもの、大切なものが男性名詞になっている。一般の物とか、小さなもの、つまらないものは女性名詞となっている。たとえば、男の乳というのは役に立だないからこういうものは女性名詞になっていて、反対に女の乳は立派で有用であるので男性名詞なのだそうだ。こういうことから考えて、何か、昔の人の価値観、価値のあるものは男性で、価値のないものは女性といったその名残りがヨーロッパの言語にあるのではないか、というふうなことを新村は述べている。

 千野栄一の『言語学の散歩』の中には、いろいろな言語における名詞の性別の例が挙がっているが、コーカシア語族の中には、「男」と「神様」とはいっしょの性、「女」はちがうというのや、「男」だけが別で、「女」と「怪獣」がいっしょになっているなど、女性に対しては大変失礼な言語の例があるようだ。

 ヨーロッパのオーセンという学者は、男性名詞・女性名詞の区別がある言語は、文章に活気を与えると言った。名詞に性の区別をもたないハンガリーの学者の中には、そう言われてコップレックスに陥った人もあるようだ。しかし、われわれには、それよりモラエスが『日水精神』の中で述べているように、無生物にまで性を感じることはむしろいやらしいと思う。

 ヨーロッパの諸言語ではこういう区別のために、ばかばかしいこともある。「一人の美しい女性」という時にドイツ語では、eine schone Frauといい、このうちSgとschoneの最後についている二つのeは、両方とも、それは女性だというしるしであって、どうもそういちいち言わなくてもと思われる。

 また、男性名詞と女性名詞によって修飾する言葉が違うので、「私の息子と娘」というような言葉がドイツ語やフランス語では簡単に言えない。もし英語ならばmy son and daughter でいいわけだが、ドイツ語だと、「私の」というのはmeinとmeineの二つある。meinという方は男性名詞用、meineという方は女性名詞用である。息子は男性で娘は女性であるから、上の句はmein Sohn and meine Tochterと二度手間をかけなければ言えないことになる。

 それから、すべてのものを男性か女性かに片づけなければいけないとすると、新しい単語ができた場合に困る。渡辺紳一郎の随筆にあったが、渡辺がパリにいた頃に、パリの町にautoと呼ばれた乗合自動車が生まれたのだそうだ。ところがこのautoというものは男性であるか女性であるか。新聞の投書欄を読むと、あれは男性だ、女性だ、という議論がむしかえされている。その結着がつかないうちに渡辺はスウェーデツに行ったそうだが、三年後またパリに帰って来て、何気なくホテルで新聞を開いてみると、まだ、autoが男性だ、女性だ、という議論が続いていたそうで、こういうことは日本ではまず想像もつかないことである。

 英語は比較的そういうことを言わない言語であるが、それでも時には、性を区別して使うことがある。「船」と「井戸」は女性として扱うそうだ。

 私はハワイに滞在したときに、せっかくの機会だから英語の会話を勉強しようと、会話の塾へ通った。ところが、その先生の話す一呂葉が速くて、ついて行けない。そこで私はある日、テープレコーダーを教室に運びこんで許可を求めた。その日、先生が生徒一同にこう言ったのは面白かった。

 「今日は、この教室に一人の新しい生徒を迎えた。彼は頭がよくて、私か教えたことをすぐに皆、覚えてしまう。諸君も彼に負けないように頑張りたまえ」

 つまり、きわめてスムーズにテープレコーダーを男性名詞にしてしまったのであったが、こういうことは日本人はちょっとやらない。

 日本語では、一般に男性か女性かという区別に無頓着である。たとえば、日本語で「俳優」という場合に、これは男でも女でもいい。英語ではactorというのが男性で、女優に対してはactressという別の言葉で表わす。「恋人」という場合も同様であることは前に述べた。 英語では、heとをsheという二つの人称代名詞があって、これを使い分けなければいけない。芥川竜之介の『羅生門』をグレンーショウが翻訳したが、あの作品の中に死人の髪の毛を抜く老人の話が出てくる。最初のうちは老人が男であるか女であるかわからない。それをショウは、はじめはheを使って「彼が……」としているが、のちに老婆という正体がわかってからはsheを使って「彼女が……」と改めている。これなどは、人をさす場合heかsheかに決めて言わなければいけないという英語の悩みがあるのではないかと思った。日本語にはこのような場合、両方に使える「その人」という言葉があるのでありがたい。 
『日本語』 金田一春彦