耳鼻咽喉科の変遷

 

a 抗生物質の登場と病気の変化

 

 科学の進歩が医学を支え、医学を大きく変えてきたことはよく知られているとおりである。その一つは五〇年前の抗生物質の登場で、一〇〇年前に「急性疾患対応」の必要から誕生した耳鼻咽喉科を根本的に変えることになった。救急疾患でなく慢性疾患に対応する科に変えてしまったのである。

 

 ペニシリンの登場で、ジフテリアの脅威がまったくといってよいほどに消失した。その後、ストレプトマイシンなど抗結核剤の登場で、喉頭結核への対応も必要でなくなった。急性中耳炎も乳様突起炎や脳膿瘍をおこすことはごくまれになった。一時、耳鼻咽喉科の必要がなくなったかの印象さえ与えたのである。

 

 ペニシリンによって一掃され、今ではジフテリアの名を知らない若者がほとんどであろうか。最近のわが国では、ジフテリア患者があると新聞記事になるほどである。かつて恐れられたこの法定伝染病は、耳鼻咽喉科にとって大変重要な疾患であった。筆者は先輩から話を聞いていただけで、ついにジフテリアによる「軟口蓋麻痺」にお目にかかることがながった。口蓋の奥の部分は軟口蓋と呼ばれ、骨がなく、上下によく動く。物をのみ込をときは、のどの奥にピクリと着いて鼻の方へ食物や飲物が逆流するのを防いでいる。この働きは軟口蓋についている筋肉の動きによるのであるが、ジフテリアによってこの筋肉が麻痺すると、食べるもの飲むものすべてが、鼻の方に回ってしまうことになる。

 

 ストレプトマイシンをはじめとする抗結核剤の登場で、わが国の若者が生命をおとすことはなくなった。ところが、昨今、結核の再来が伝えられ、しばしば新聞や専門誌などの席題になっている。そのむかし、結核が猛威を振るっていた頃、すなわち筆者らよりも一〇歳ぐらい以上年長の先輩には、結核で一年二年療養しかAが少なくない。結核は多くの場含、肺をおかし、空気伝染した。したがって喉頭結核が多く、これを診療治療する耳鼻科医は、もろに患者さんの結核菌を浴びたと思われる。事実、診療熱心な耳鼻科医ほど結核に見舞われるチャンスが多かったのである。

 

 抗生物質によって伝染病を消滅させた例はほかにもいくつかあるが、病気の形を変えたこともある。急性中耳炎は今日でも幼小児には減ってはいないが、適当な抗生物質を用いれば中耳の奥の方に細菌が入り込み、耳のうしろや脳の方に炎症が拡がることはごくごく稀になった。ところが、それに代わって、耳だれのない、痛みもない中耳炎、「滲出性中耳炎」が大いに増加したのである。アレルギーの関与も考えられ、アレルギー性鼻炎にほぼ同期して増加してきた。その鼓膜をみると、奥の方にへこんでその奥に液体がたまっている。痛みはないが、きこえは症状の程度によってかなり低下することがある。しばしば左右両方の耳におこり、両親も注意していないと、しばらく難聴に気づかないことが多い。この子はどうも りぼんやりしていて、返事もろくにしない……。これが両耳の滲出性中耳炎で、最近は少なくないのである。ぼんやりしているのはきこえないからである。

 

 幸い滲出性中耳炎は、一〇歳前後までに徐々に治癒し、聴力も回復することが多いが、そ れ以下の年齢の幼小児は、言葉を覚え、幼稚園、小学校と、人生の重要なステップをふみ出すときであるから、難聴が仮に軽くとも、将来、本人にとって大きなハンディキャップになる。親は子供がぼんやりしているときは、耳がきこえないのかな? と注意する必要がある。

 

耳科学-難聴に挑む  鈴木涼一、小林武夫著より